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第60話  贄の記録

last update publish date: 2026-09-10 21:00:50

冷たい金属の匂いと、湿った土のにおいが混ざり合っていた。

 祐真たちが踏み入れたその空間は、明らかに“森”ではなかった。

 無機質な壁が、規則的なパルス光で淡く照らされている。

 まるで長いあいだ誰も触れていなかった研究施設──ラボ。

 しかし、ここがほんとうに“科学施設”だったのか、誰も確信できなかった。

 春香は息を詰めながら、ゆっくりと壁をなぞった。

 「こんな場所……森の下に……?」

 「祠の地下に通路があったんだ。20年前、俺たち子どもが近づけないように封鎖されてた。

 でも──その奥で何かが動いていた」

 祐真の声は震えていた。思い出すたび、頭の奥で鈴の音が鳴る。

 通路を抜けると、そこにはガラスのケースがいくつも並んでいた。

 中は空だった──いや、ひとつだけ、残っていた。

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    ──静寂。 耳をすませても、何の音も聞こえなかった。 春香は自分の息づかいすら恐ろしく思えた。 霧の中で、光はまるで生き物のようにねじれ、どちらが道で、どちらが罠なのか、もうわからない。「祐真? ……美奈?」 声を出しても、返事はない。 代わりに、森の奥から“何か”が返してきた。 それは、微かな笑い声──。 幼い子どものようで、どこか壊れた人形のようでもあった。「……誰?」 問いかけると、木の幹にぶつかるような鈍い音がした。 春香が振り向くと、木の根元に“紙切れ”が一枚貼り付いている。 それは古びて、雨に滲み、けれどはっきりと読めた。 ──アンケートに、答えてください。 春香の喉がひゅっと鳴った。 その紙には、三つの設問が記されていた。一、あなたは真実を見たいですか。二、あなたは誰かを許せますか。三、あなたは、生きて帰りたいですか。 その下に、小さな文字でこう書かれていた。 ──“すべてに嘘をついた者は、森に取り込まれる”。 春香は後ずさりしながら、無意識に首を振った。 そのとき、背後で“枝を踏む音”がした。 ゆっくりと振り向くと、霧の向こうに人影が立っている。 肩のあたりまでしか見えないが、白い服──それは美奈のものだった。「美奈ちゃんっ!あなた、どこにいたの!」 駆け寄ろうとした瞬間、春香の足が止まる。 美奈の顔が、見えなかった。 霧の中にあるのではなく、“最初から存在し

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    ──音が消えた。 あれほどざわめいていた森の虫の声も、風の音も、すべて霧の中に吸い込まれている。 春香は息をひそめ、濡れた土の感触を靴越しに確かめた。 隣にいたはずの美奈の姿が、もう見えない。「……美奈ちゃん?」 呼びかける声は、白い霧に飲まれて溶けていった。 返事はない。ただ、奥の方から“ひとつ分だけ”遅れて足音が響く。 まるで誰かが、彼女の動きを真似しているかのように。 背筋を冷たいものが這い上がった。 春香は震える声で、もう一度呼んだ。「美奈ちゃん、返事して……!」 そのとき── 霧の奥から、やわらかく、しかしはっきりとした声がした。『……どうして来たの?』 それは、確かに紅葉の声だった。 17歳の少女の、あの日のままの声。 春香は息を呑む。 声は霧の中を漂いながら、ゆっくりと彼女の方へ近づいてくる。『ここは、もう“帰れない場所”だよ』 春香は反射的に一歩引いた。 そしてその足が、何か柔らかいものを踏みつけた。 見ると、それは白い布──紅葉のスカーフだった。 泥と落ち葉にまみれたその布の端には、小さく刺繍があった。 〈ひみつの場所〉 紅葉が幼いころ、美奈と一緒に縫ったという言葉だ。「……どうして、これが……」 喉の奥から言葉がこぼれた瞬間、霧が揺れた。 木々の影が、ゆっくりと形を変えていく。 人の背丈ほどの影が

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